暇とは何か。退屈とは何なのか。【暇と退屈の倫理学】

photography of a woman sitting on the chair listening to music

学びて思わざるは則ち罔し

孔子

読書ナースの世界へようこそ。

冒頭の孔子の言葉は、座右の銘のうちの一つです。

知識をインプットしても、それを咀嚼しないと意味がないという、先人の碩学であられる孔子先生の言葉には、ただただ頭が下がります。

そんな孔子先生のお言葉に倣い、私が最近読んだ本についてアウトプットも兼ねて紹介します!
今回ご紹介するのは、哲学者である國分功一郎先生の「暇と退屈の倫理学」です。

皆さんは暇と退屈の違いをご存知でしょうか?

本著は二つを明確に区別し消費やルーティンとの関連性も明らかにしています。

それではみなさんを退屈ではない世界に誘いたいと思います😊

※あくまで個人の感想や考えを書き綴っておりますので、その点ご了承ください

本書との出会い

私には読書好きの友人がいます。

読書欲が湧いた時には、その友人にオススメの本を紹介して貰っています。

今、読書欲爆発中なんだけど、何かオススメある?
なにか暇つぶしになりそうなもので。

それならこれがいいんじゃない?

どれどれ。「暇と退屈の倫理学」???
小難しいタイトルだなぁ😅

暇つぶししたいなら、暇そのものについて考えてみなはれ。
それが暇のプロフェッショナルというものやろ。

うーん。たしかに暇や退屈の根源的なことを考えるのは今後の人生に役立ちそうだ
そう思い、本書を手に取り思索に耽るのでした。

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冒頭~一人称は俺~

「はじめに」の章にて、著者の一人称が俺であることにまずはビックリ。

どんな人が書いているんだ?と著者名をググってみると、想像と180度違う爽やかめのメガネ男子が出てきました。

タイトルの厳つさから、白髭を蓄えたおじいさんを頭に浮かべていた私は、まずそのギャップにキュンとするのでした…。

國分巧一郎先生(新潮社HPより)

序章「好きなこと」とは何か?

この章では、消費社会における需給の実態について書かれていました。

私たちは、需要があるからそこにモノが供給されると思いがちですが、実は逆で給側が需要を操作していると。

ネットショッピングでオススメされた商品をついついポチってしまいがちな当時の私は共感せざるを得ない内容でした。

人類はみなドM?

次章ではかの有名なパスカルやニーチェを紐解きながら、暇と退屈に迫っていきます。

彼らによれば、人間の根源には「自分を掻き立てるような苦しみ」を求める性質があるそうです。

ギャンブラーはお金儲けしたいから、ギャンブルに身を投じる訳ではなく、賭けるという行為そのものによる気晴らしを求めているそうなのです。確かにギャンブルは確率的に勝てないということが周知の事実ですよね。それなのにあれだけ中毒性があるのですから納得感があります。

結局、人は部屋でじっとしてることができないので、熱中できる気晴らしを求める。たとえそこに痛みが伴おうとも。

なんだかミスチルの歌詞みたいになりましたが、人間の本質はドMなのかなと思いました…。

暇と退屈の定義

中盤では、暇と退屈の定義について触れられてます。

  • 暇:何もする必要のない時間。つまり客観的な条件に関わる。
  • 退屈:何かしたいのに出来ないという感情や気分。つまり主観的な状態。

これを読むと、冒頭の私は厳密には、暇潰しではなく退屈潰しをしたかったのかぁと思いました。

昔の貴族たちは、暇を生きる術を知っていた。ただ、社会が大衆化し、労働者階級もまた余暇を手にするようになってからというもの、暇を生きる術を知らない人達が暇を持て余し、退屈する。

そんな図式がこの世の中には存在しているそうです。意外と暇は少ない?

woman in gray turtleneck sweater sitting on brown leather couch
Photo by cottonbro on Pexels.com

際限なき消費

続いて、浪費と消費についての説明が為されます。

私の中でこの2つは混同していたのですが、本書によると…。

  • 浪費:必要を超えて物を受け取ること。すなわち贅沢の条件。
  • 消費:物に付与された観念や意味を受け取ること。

浪費には上限があるが、消費には上限がないようです。上記の定義に沿うのであれば、消費の代表格がブランド物とかになるのでしょうか。消費活動が退屈を凌いでくれる…。なんとも現代的な感じですね。。
これが冒頭の供給側が需要を作っているということに繋がっているのでしょう。

3つの退屈

ここまで読んでなんとなく、人類の歴史=退屈との戦い?的なイメージを持ちました。

「存在と時間」で有名なハイデガーさんによると、そんな巨人たる「退屈」にも3つの分類があるそうです。

  1. 空虚放置のパターン ex.待ちぼうけの時間
  2. 気晴らしそのものが退屈パターン ex.参加してみたらつまらなかった飲み会
  3. 「なんとなく退屈だ」パターン

ざっくり①.②.③の順で重たいものとなるらしい。
なんとなく退屈という声をなるべく遠ざける為に、私たちは必死に動き回り、時に危険も冒すということみたい。なんか哲学って感じがしてきました…。

人間と動物で世界の在り方が違う?

ユクスキュルさんという方は「環世界」という概念を提唱したそうです。

環世界とは、生物それぞれで世界の捉え方が違うよ〜。的なことだそうです。(なにやら壮大な話になってきて、目が回りそうです笑)

本書ではトカゲやダニやハチなどを例示しています。

人間にも環世界はあるそうですが、この環世界を極めて容易に移動できるのが人間とその他の動物の差異であるようです。

移動できちゃうが故に1つの環世界にとどまることができず、退屈が生まれるのだそう。

ここは拙い説明になってしまうので、是非本書を読んでみてください。

ちなみに人間の感覚の限界は1/18秒らしいです。

brown horse on grass field
Photo by David Dibert on Pexels.com

習慣と刺激と思考と。

皆さんにも習慣はありますよね。

もちろん私にもあります。朝起きてから、出勤し、帰宅する。何気ない毎日の間には習慣が溢れていると思います。

習慣とは言い換えれば、個々の環世界とでも言えるようです。

人間は基本的にものを考えないようにするタチのようで、習慣の獲得により、なるべく思考しないことを志向するようです。

そんな怠けん坊な私たちも、大ニュースや新しい考えなどの新たな衝撃が「不法侵入」してくることにより、その衝撃がもたらす環世界に「とりさらわれ」ひたるほかなくなる。

この状態を前章に準え「動物になること」と表現しています。

この「動物になること」が退屈の輪廻から抜け出す一歩となるという内容をもって結論となっています。

本書から感じたこと

柄にもなく、小難しい内容を語ってしまいましたが、本書を通して色々な気づきがありました。

退屈がここまで深いものだとは、思いもよりませんでした。「マンネリ」という言葉は非常に停滞感を伴ったニュアンスで使われます。

一方、最近流行りの「ルーティン」という言葉には、何か前向きなニュアンスが伴っているように思います。

私は表裏一体のような気がするのですが、本書を読んで下記のように感じました。

  • マンネリ:1つの環世界にダラダラと固執し続ける状態
  • ルーティン:1つの環世界を作り上げ、余った思考力を別の何かにあてようとする状態

環世界に留まることは両者ともに同じですが、そこに主体的な意思があるかにより大きく意味が変わるのです。

私の生活では「朝活」と「貯金」がルーティンに当たると思いました。

「朝活」は起きる時間~家に出れる状態を積極的に固定し、そこに思考の余地を残しません。その準備をしながら他の物事を考える余裕があります。これがルーティン化されていないと、朝活の動作に脳の緊張感が生まれ、余計な思考を要することになるでしょう。

「貯金」もルーティン化に当たります。漫然と貯めようとするのではなく、目標の貯金額を定め、変動費のみを管理していきます。これによりありとあらゆる支出に意識を回す必要はなく、生活に余裕が生まれます。詳細は過去ブログ『〜手取り4割貯金術〜予算設定6つのコツ』をご覧ください。

〜手取り4割貯金術〜予算設定6つのコツ【賃貸・女性一人暮らし】

週に三回以上飲み会に参加し、ボーナスで赤字を補填する生活を送っていた数年前。まさに浪費家と呼べる人間でした。 ここ数年かけ生活を徹底的に見直し、毎月の給与(手取…

一方で自身の生活を振り返ると、マンネリも確かに存在します。

一番に思い当たるのが「n次会」として続く飲み会です。そこに記憶はないにも関わらず、その世界に固執するのです。

「マンネリ」と「ルーティン」を明確に区分し、刺激的で退屈なき人生を歩んでいきたいと感じました。

おしまい。

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